2025.10.08
このこのブログは日々のれっどぱーるのハウスでの作業や、イベントの様子や、
私の感じたことや、経営について勉強したことなどを毎週木曜日に
アップしています。これからもよろしくお願いします。
皆様からの暖かいコメントもお待ちしてます。
2025.10.9
先週のブログで花芽検鏡のことを書かせていただきましたが、
その後10月3日に花芽の検鏡をしたところ、5本中4本が花芽が来ているという事で
いよいよ苗を定植することとなりました。
写真ではわかりにくいですが、花のカクが出来上がってきている状態でした。
花芽が分化したとなれば、早く植えてしまいたいです。
それは何故かと言うと、分化した花が大きくなり、良い果実が実るためにも、
花が出来たらすぐに沢山の肥料を吸わせてあげたいのです。
このタイミングが難しいのです。
高説ベットに植えることで、根っこも縦横無尽に張ることが出来ますす。
それによって、苗も沢山の肥料を吸うことが出来るのです。
花芽の分化を確認したのが金曜日の夕方でした。
検鏡の結果次第では次の週の月曜日から植えようと考えていたのですが、
文化を確認した以上、植えなければなりません。
という事で、イベント販売もありましたが、
10月4日から定植することにしました。
苺の収獲の時に応援に来ていただく後藤さんにもお願いして定植です。
苗を先に配っていき、その後で植えていきます。
これで、苗たちも沢山の日光を 浴びることが出来ます。
一番最初に定植したのが3日ほどで、白い根っこを出しています。
花芽が分化したことは確かなので、早く花が上がってくるのが楽しみです。
花芽が分化すると、マルチをしたり、害虫の誘因シートを張ったりと、
ハウスの中が変わっていきます。
白い花が咲くのが楽しみです。
第2弾の定植も待っています。
苺を育てるプロとして、準備万端で、スタートラインに立てるように気を抜かず
頑張っていきます。
本日10月8日、トレーラータイプの2号車の洗車を行いました。
この2号車は、1号車を作った次の年に作成しました。
今から約14年ほど前になるのですが、この2号車は当時
新東名高速が開通したばかりで、その新東名高速の清水PAで苺のデザートを
販売するために作りました。
生苺の無いシーズンの唯一の収入源として活躍してくれました。
半年間清水のPAに置きっぱなしにし、週末になると販売をしていました。
思い返してみれば、私も36歳でした。まだまだ若く、やるからにはとことんやらなければだめだと
自分に言い聞かし、突っ走っていたころでした。
1号車と2号車とで、れっどぱーるを世の中に広めてくれました。
ゴールデンウィークの販売はとても忙しかったです。
朝清水PAに着くと行列ができていたこともありました。
12月の寒い時にはお客様が少なくて心が折れそうになったこともありました。
富士の麓の博覧会にも出店しました。
今思うと色んなことが思い浮かんできます。
昔を思い浮かべながら、丁寧に丁寧にスポンジで汚れを落としていきました。
時折、胸がいっぱいになって涙があふれてきました。
共に14年を頑張ってきた私の大事な仲間です。
2号車にデザインされている子供たちも、私たちの3人の子供をイメージして
作られました。大きい太陽と、富士山、これは富士宮をイメージしてあります。
その仲間とも10月10日にお別れです。
れっどぱーるで頑張ってくれましたが、これからは、ポレポレと言う、ベビーカステラ屋さんの
お店として頑張ってもらう事となりました。
ポレポレさんは私達にイベントの紹介をしてくれたり、苺を買ってくれたりと、大変お世話になっている方です。
ポレポレさんも今後の事業展開を考えていく上で、トレーラータイプの販売車で販売を行っていきたいと
相談を受け、
「この方たちなら大丈夫!頑張ってくれた2号車を大事に使ってくれるだろう」
と思い、2号車を手放すことを決心しました。
人にも出会いと別れがあるように、物や、車にも出会いや、別れがあります。
こうして3台並ぶと、それぞれが時代を切り開いてきた仲間たちです。
2号車がいなくなるのは寂しいですが、私の中には沢山の思い出とともに、
存在し続けます。
今日は心を込めて最後の洗車をしました。
子供を嫁に出したことがありませんが、嫁に出す気分です。
新天地でも頑張ってもらいたいです。
活躍している姿を見に行くからね。
14年間お疲れさまでした。
「ありがとう・・・・。」
涙
富士山も応援してくれていました。
本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
富丘佐野農園株式会社 佐野真史