Blogしゃちょうのブログ

二番果のでかほっぺ採れ始めました

2022.02.10

この社長のブログは、毎週木曜日に更新しています。
日々の苺の様子や、作業の様子をアップしていきます。
私が今まで歩んできた道のりや、
静岡経営塾という経営者の集まりで学んだこと
なども一緒に書かせていただきます。

今日は2月の10日
節分も終わり、暦の上では春ですね。
あちこちで、梅の花を目にするようになりました。
これから目に入ってくる景色に、新しい色が加わっていきますね。
苺も、ひと花芽の収穫が終盤になり、二番果の
大玉でかほっぺが収穫できるようになりました。
このでかほっぺも、この先10日~14日くらいで
無くなってしまいます。2月の大玉も美味しいですよ。
今がチャンスです。
お待ちしています。

 

れっどぱーる立ち上げ秘話 vol.1

[仲間との別れ 旅立ち ]

頑張っても頑張っても、売り上げが上がらず、貯まるのはお金ではなく、疲労と、不安、そしてむなしさ、とやり場のない怒り。
このころの私は先行きのことばかりを考えて、常に頭の中は不安で一杯でした。
しかし、自分の進む道は一本です。
行くと決めたら行くしかありませんし、行くと決めたら後戻りはできません。
考えて考えて考え抜いた選択肢は、2つに絞られました。

 

①このまま農協の仲間たちと良い案を出し進むか?

②農協苺組合を抜けるか?(自分で売るか?)

 

2つに1つ。
どうしよう。変えなければ今までと同じです。
農協の苺組合に所属し、今まで作物を栽培することしか考えて来なかった私は、とりあえず
①を選択しました。リスクは少なく、今までの仲間と一緒に良い案を出して組合を改革しようと考ました。
私が考えた案は少しでも自分たちで売ることでした。

・農協の力(支店)などでの生苺の販売・・・直売
・地元富士宮のケーキ組合とのコラボ・・・農商工連携
・地元スーパーへの売り込み・・・地産地消

私達の組合は大産地の組合とは違い、少数の組合員で成り立っていたため、
皆に説明して納得してくれれば難しい話ではないと思っていました。
実際に今までメインとなり組合をまわしてきた父親にも相談しましたが、
「皆がやる気になれば出来るかもしれないな。」と応援してくれました。
ところがです。 世の中そんなに甘くはなかったのです。

出荷などに行き何気なく自分の考えを組合員さんに話し始めたのですが、
皆やはり不安があるらしく、なかなか私の話に耳を傾けてくれませんでした。

しっかり根回しをして(根拠を作って)話をしていけばきっと解ってもらえると信じて色んな人に相談して解決方法を見つけ、諦めませんでした。
その年(平成19年)の苺の栽培が終わり、苺組合の総会がありました。
総会は組合員さんが全員集まるので、ここで皆さんに自分の考えを聞いてもらうチャンスと思っていたのですが、役員さんから

「お前、余計な事を言うなよ・・・。次の食事会の時間もあるし。市場の担当者も来るし。総会は早く終わらせたいからな。」
釘を刺されました。 えっ!何で?
総会で何も言えなかった私は悶々とした気持ちのまま食事会に出席しました。
そこでも皆に訴えました。

「このままではまずい。皆で力を合わせて、組合の売上を上げていきましょう。」

そんな私の意見とは逆に、

「そんなに慌てなくてもいいじゃない?」とか
「企画書を出してみんなで検討すればいい。」とか
「2~3年作れればいいから面倒な事はよしてくれ。」
などが皆の意見でした。すると役員から

「もういい加減にしろ」

とどめの一言です。
我慢が出来なくなり爆発です。

「こんな組合辞めてやる。」
「入っていても潰れていくだけだ。」

言っちゃいました。
売り言葉に買い言葉で役員さんが

「やれるものならやってみろ。いいか辞めたら二度と戻って来られないからな。」

今でもその悔しさとその人の名前は忘れません。
農協の苺組合を抜け、新たな道の開拓の始まりです。
先ずは父親にこの事を説明し、怒られるかと思いましたが父親は、

「お前がそこまでやる気なら、俺が皆に説明する。」

と一番いやな所を引き受けてくれたのです。感激です。
父親にとって皆とは、組合を立ち上げたときからの仲間でしたし、その仲間に脱退を告げるのはどんな気持ちだったか・・・・。
今思うと書きながら涙が出てきます。

その年の4月に3人目が生まれ、
父親として焦っていたのかもしれません。

 

農協の苺共販部会を正式に辞め完全に孤独になりました。
あれだけ共に頑張ってきた組合員さんたちも
手のひらを返したように近寄ってこなくなりました。

 

「絶対に成功してやる」

 

心に決めました。
その時家族に言われた言葉ですが

「どうやって売るの? どこか卸す所はあるの? 買ってくれるスーパーはあるの? 大丈夫? 生活できる?」
でした。家族皆どうなるか不安だったのでしょうね。
そんな私は全部の質問に対して

「わからない。」

としか言えず、実際に自分でもどうなるか解りませんでした。
(でも、変えなければあのままだし、変えるしかない。何とかするしかない。)

ただそれだけでした。

平成20年に向け、不安を抱えたまま、売れるか売れないか解らない
苺を育てることになりました。

 

ん?でもあの人だけは確か・・。
思い出しました。一人だけ前向きの人がいました。

「やるしかないじゃん。楽しみだね。」

嫁の茜の一言でした。
その一言に救われたことを今でも覚えています。

 

32歳 佐野真史 崖っぷちです。

 

Vol.2に続きます。