Blogしゃちょうのブログ

春よ来い

2022.03.03

3月になり、日中の気温も上がり過ごしやすくなってきました。
先日、配達の信号待ちの時、梅の花が目に飛び込んできました。
梅の花を見た瞬間に、なんとなくウキウキしてきて、
車を止めて、思わず写真を撮りました。
春が近づくにつれ、周りの景色に、鮮やかな色が
加わってきます。もうすぐ春ですね。
コロナもおさまり、皆で、花見などできるようになるといいですね。

本日ソフトクリームの機械を回収していただきました。
良く10年たつと壊れ始めると言いますが、本当ですね。
12年使用していましたが、不具合が続き、買い替えることとなりました。
今まで頑張ってくれたので、塩とお酒で、清めさせていただきました。
12年間お疲れさまでした。

れっどぱーる立ち上げ秘話 vol.4

 

「どん底からのスタート」

収穫した苺が思うように売れずに困った私がとった行動は、苺を知り合いに{無料}で配ることでした。
クリスマス前の一番お金にしたい時でしたが、傷んでしまうのなら皆さんに食べてもらった方がいいと思い配り始めました。
色々考えたのですが、この方法しかその当時は考えが浮かんできませんでした。

そんな姿を見ていた父親が私に言いました。

父親:「お前こんなことしていて、大丈夫か? 今クリスマス前で、一番値段が高い時だぞ。市場に出したらどうだ…。」

私:「ごめん。こんなになるとは思っていなかった。どうなるか解らない。ただ今はこうするしか思いつかない。絶対に市場には出したくない。」

泣きながら説明しました。

農家にとって収穫は一番楽しい仕事です。でも当時の私には一番きつく、苦しかったです。朝が来るのが恐ろしく、ずっと夜ならいいのにと願った位でした。
直売所でもスーパーでもそんなに沢山売れる気配はなく、やっぱりブランド化なんて簡単に言っても出来ない事に気づきました。
買ってもらわなければお金になりません。どうしよう安く売るか?

ここでも自分との戦いになりました。もう少し頑張ってみよう。

「行ってきまーす。」

軽乗用車に{無料}で配る苺を乗せて出発していくのですが、だんだんと{無料}でさえ配る知り合いがいなくなってきました。
行き場の無い苺を抱えあちこち走りました。車の中でハンドルを握りしめ、何度も泣きました。
(自分の選択はあっていたのか? これでいいのか? 市場に出そうか? 皆ごめん。)

何処かに逃げ出したかったです。穴があったら潜って出てきたくありませんでした。

「見てろよ 絶対に成功してやる」

この気持ちを忘れそうになっていました。
そんな時です。お店で販売をしていた茜が

「最近、お客さん少しずつ増えてきてるよ。もらった苺が美味しかっただって。」

嬉しかったです。この頃から少しずつ直売所の売り上げが伸びていきました。
平成20年1月中旬頃です。

徐々に徐々に少しずつ苺が売れるようになっていきました。
この後スーパーあおきさんに苺を取り扱って頂くようになったり、
スーパーさんでも少しずつですが、お客さんに買って頂けるようになりました。
アピタさんやあおきさんで自分が試食販売をしたり、お店から注文があれば一軒一軒配達もしました。
車の中にはいつも寝袋が積まれ、いつでも眠くなれば車で寝ていました。

アピタさんやあおきさんで試食販売。苺を売る為なら何でもしました。
お客様に、試食していただくのも難しいということをやってみて初めて知りました。
そこまで私を動かしたのは、たくさんの方に、自分たちが育てた苺を食べていただきたい。
それだけでした。

いま思い出すと鳥肌が立ちそうなくらい無謀な事をしてきたように思います。
でもこの経験が今の私を作っていると思います。
何をしても売れない時代
これがあったから売れた時の喜びが大きいです。
今でもその感覚は残っています。
毎年毎年、苺を売るためにはどうするか?と皆で考え色んな事業を行ってきました。
苺のデザート加工品の販売・苺デザート移動販売車の作成・苺摘みの観光農園化など・・・。

 

 

徐々に事業を大きくしていき、平成27年12月07日に個人経営から富丘佐野農園(株)に法人化致しました。
これで終わりと思うかもしれませんが、まだまだ試練は続きます。

なぜ法人化したのか?人との出会い。
組織を知らない自分が組織を作るとは?
自分はどんな人間なのか?

 

まだまだいろんなことがありました。コツコツ書いていこうと思っています。
自分の歩んできた道をこうして文章で書くことによって今までを振り返るきっかけとなりました。
読んでくださり有り難うございました。

 

富丘佐野農園(株)佐野真史