Blogしゃちょうのブログ

再び輪島の炊き出しへ!!

2025.09.26

このこのブログは日々のれっどぱーるのハウスでの作業や、イベントの様子や、
私の感じたことや、経営について勉強したことなどを毎週木曜日に
アップしています。これからもよろしくお願いします。

皆様からの暖かいコメントもお待ちしてます。

2025.9.26

ブログのアップが1日遅くなってしまいました。
実は、24日、25日と去年お邪魔しました、石川県輪島市での炊き出しに
今年も参加して輪島の皆さんに苺スムージーと今年は何と富士宮焼きそばを
味わっていただこうと計画をして参加してきました。

今回は写真をメインにブログを書かせていただきます。
宜しくお願いします。

炊き出しの日程は25日の12時からという事で、前日の24日に石川県に向かいました。
目的地は去年と同じく、移動販売車の製作でお世話になっている野々市市のゼックさんです。

去年は私と店長の二人での参加でしたが、今年は社員さんも一緒に行って、輪島の方々のために一肌脱いでもらおうと
4人で石川県を目指しました。
勿論移動販売車は、出来立ての4号車です。
こちらの4号車を社員さんに運転していただき、私と店長は、
焼きそばの鉄板や、材料を積んだステップワゴンで向かいました。

走行距離約450キロの旅です。
時速100キロで4時間半と言う計算になるのですが、中々そうはいきません。
途中に岐阜県の美濃加茂SAにより、ご当地きしめんと、ご当地ホルモンからあげ丼を
頂きました。

その後ひたすら東海北陸自動車道を北上し、次の経由地は白川郷です。
社員の坪根さんは、小さいころに家族で白川郷に来たことがあるらしく、
懐かしいけど、昔とはだいぶ雰囲気が変わったと言っていました。

拳和君は白川郷が初めてで、風情のある建物を見て
一度住んでみたいと言っていました。

ちょうどカヤの吹き替えを行っている家がありましたが、今でもカヤの吹き替えを行える
職人さんがいることにびっくりしました。

白川郷から目的地のゼックさんまで、1時間30分。
行きは、朝からの出発だったので、体もつかれていなかったので、
割と早く到着した印象でした。

ゼックさんに到着し、ホテルにチェックイン後、
ゼックの社長さんでもある永井さんと、25日の炊き出しの
打ち合わせを兼ねて食事をしました。

美味しい日本海のお刺身をいただき皆大満足でした。
静岡のお刺身も美味しいと思いますが、やはり、日本海の魚たちは、
身の締まり方が違いますし、知らない魚も多いです。
美味しいお魚とお酒で、盛り上がりました。

25日は、焼きそばの支度があるため、9時半には炊き出しの輪島市門前に到着したく、
7時過ぎにホテルを出発し、日本海岸をずー―――っと北上していきました。
輪島に近づくたびに、道路はでこぼこであったり、電柱が傾いたままだったり、
まだ手付かずの住宅があったりと、思っていた以上に復興は進んでいませんでした。

今まで住み慣れた家を解体している光景が目に入ってきた時は、
何とも言えなく、胸が苦しくなりました。
国のお金で、自宅の解体をしてくれるそうなのですが、中々思うようには
工事が進んでいないようでした。
また、要注意の家の方々も、何かがあると危ないのを承知で、住まわれている方々もいるとのことでした。
皆さんが元通りの生活に戻るまでには結構な時間を要すると思いました。

でこぼこの山道を通り、やっとの思いで去年お邪魔した
サンライズ、ボランティアベース基地に到着しました。
去年と変わらなく、朝日の絵が描かれていて、故郷に戻ってきたかのように、
懐かしさを感じました。

ボランティアの方々も私たちのことを覚えていてくれ、
皆さん笑顔で、迎えてくれました。

この建物に書かれている絵ですが、どういうご縁かわからないのですが、
富士市の女性の方が書かれたそうです。それを聞いてびっくりしました。
着いたからと言ってゆっくりしているわけにはいきません。
何と言っても、この日は私の重大な役目でもある焼きそばを焼かなければなりません。
予定数200食。
早々に準備に取り掛かりました。

販売車は慣れたもんなので、着々と準備を進めていきました。
鉄板を下ろし、材料をクーラーボックスから出し、
焼き始めました。材料は前日に店長が小分けをし、キャベツも切ってくれてあり、
順調な滑り出しとなりました。

見てください。
苺屋の私が焼きそば屋さんになりました。

結構真剣なのです。
湯気や、鉄板の熱が思った以上に暑い‥‥!
昨日のビールも汗となり、早々に発散してしまいました。

1回戦を14食とし、約15回戦結構、思った以上に
焼きそばを焼くのが大変なことに気付きました
途中、交代。

さわやか青年の拳和君登場です。ぎこちないヘラさばきでしたが、
中々上手く焼いてくれました。

炊き出しのメニューはココナッツミルクカレーで、
地元のボランティアの方々が、野菜を切り、味付けをし、
カレーを煮込んでいました。いい匂いの中、焼きそば焼きは続きました。
そしてあっという間に12時。
地元の方々が、列を作って待っています。
私も焼きながら、富士宮焼きそばの特徴を呼び掛け、勧めました。

流石富士宮焼きそばは大好評で、瞬く間に、焼き起きしておいた100食が配り終わってしまい、
皆さんに待ってもらう仲での焼きそば焼きになりました。
中には、私が焼きそばを焼いている姿を見て、「こうして全国を回っているの?」と聞く
高齢の女性の方がいたり、また、「わざわざ、富士宮から来て焼きそばを焼いてくれるの」
と優しく声をかけてくれる方がいました。皆さん被災されている方が多い中で、
私達に気を使ってくれ、何度も何度も「ありがとう!ありがとう!」と言ってくれました。
焼きそばを焼きながら、でこぼこ道や、ブルーシートが掛けられた家を思い出し、
胸が熱くなりました。少しでも美味しいものを食べさせてあげたい思いで、
精一杯焼きそばを焼きました。

カレーと、焼きそばを貰った方々は、次はれっどぱーる号へ移動です。
ここで、スムージーを持って行っていただきました。
大抵の方々が、ご家族の分として数個持っていかれたのですが、
家族皆で笑顔で召し上がってもらえたら嬉しいなと思いました。

写真の一番右の方がゼック社長の永井さんで、その隣の方が、田谷さんと言って、
このボランティアベース基地の運営者さんです。
田谷さん曰く、今では炊き出しが行われていなく、ボランティアの方々も来てくれなくなってしまったそうです。
段々過去の事のように忘れ去られていくのが恐ろしいと仰っていました。

炊き出しのカレーをいただき、皆さんと記念撮影をして、また次の場所へ移動です。
向かった先は、去年も伺った仮設住宅です。

ここで、住まわれている方々に声をかけてスムージーを配りました。
と言っても、1人の方に声を掛けたところ、
去年来た苺屋さんがまた来たからおいでと、皆さん隣近所を誘ってくれて
お家から出てきてくれました。
私は、1年たったから忘れられてしまっているかな?と思ったのですが、
皆さん覚えていてくれ、まさかまた来てくれるとは思っていなかったと大喜びしてくれました。

皆さんにスムージーを配り終え、今年は皆さんで記念写真を撮ってもらいました。

ちなみに、下の写真は、去年の写真です。

同じ方がいらっしゃるのが解るでしょうか?
1年仮設で生活されて、いろいろと状況も変わったようですが、
仮設住宅から出て暮らすことはなかなか難しいという事でした。
ここでも、資材の高騰や、原料高の影響で、
簡単には、家など建てられないという事でした。
再びお会いできたのは嬉しかったですが、
今でもなお、色んな悩みや苦しみを抱えた方々が多いことが解りました。

もう1件は集合住宅のような仮設住宅に寄りました。
こちらも去年立ち寄ったところです。

こちらでも、2~3人の方に声を掛けたら、
沢山の方が集まってきてくれました。

仮設住宅の集会場にお手洗いを借りに行ったのですが、
皆さん、ニコニコしながらお話をしていました。
こうして、お互いに支え合って暮らしているのだろうと思ったのですが、
皆さんの笑顔に、色んな私の思いが洗い流されました。
「ありがとう」と言っていただいたのですが、
本当の意味で「ありがとう」を伝えなければいけないのは私でした。
皆さん勇気をいただきました。

「ありがとう…。」

そして、一緒に頑張ってくれた店長と社員さん

「ありがとう。」
また一つ私の人生の大切な思い出の1ページが出来上がりました。
皆お疲れさまでした。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
富丘佐野農園株式会社  佐野真史

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